平成23年3月11日の東日本大震災、私はつくづく「もっと命の道のネットワークづくりが進めることができていたならなぁ」と嘆きました。しかし、仙台東部道路や、仙台石巻、山田道路など完成していた三陸縦貫道路の一部が津波を止めると共に救急、救援の道として機能し、命の道としての役割を果たしてくれました。
我が国の高速道路網は、昭和41年に国幹道7,600kmが法定化され、その整備が本格化しました。昭和62年には四全総で14,000kmの高規格幹線道路網が位置づけられ、計画、整備が逐次進められてきました。これは、その当時の欧米の整備水準に21世紀初頭には追いつきたい、と計画されたものでした。それから四半世紀、残念ながら未だ7割を超えた程度で、多くのミッシングリンクが残っています。この間、欧米諸国も更に整備を進めており、国土の安全の面からだけでなく、国際競争力の面からも大きな課題です。
省みれば平成7年の阪神淡路大震災で関西の皆様は大変な被害にあわれました。この時、中国道、山陽道、阪神高速等が遮断され、日本海側の国道9号一本が頼りで、大変な渋滞と救援、救急の混乱、遅延が生じました。代替となる道路、リダンダンシーの必要性が強く国民の間にも拡がりました。まさしく、強くしなやかなネットワークが必要だったのです。東日本大震災を経てあらためて、今こそ命の道づくりを協力に進め、子や孫に資産として残していかなければならない、と責任を感じ、皆様と共に力一杯努力して参ります。