いったい「公共事業は悪玉」なる宣伝はどこからでてきたのであろうか。バブル崩壊後、日本は大規模な財政出動で経済を支えました。これは米国からの要請で「日本は内需拡大の為に10年間で430兆円の公共投資すべき。」との前川レポートが背景でもありました。事業費では35兆円、対GDPに対する公的固定資本形成(Ig)の比率(Ig/GDP)は6%を超えました。設備の遅れ、災害も多い我が国ではあたり前のハズですが、この頃から「世界の平均は2.5〜3%程度、日本の公共事業の多額さは異常」というキャンペーンがマスコミを賑わせはじめました。同時に各論でも、アレが無駄、コレも無駄と取り上げられました。
その後の経緯を見るとどうでしょうか。第二東名等が、「既に高速道路が一本あるのに、第二、まで作るのは何ごとだ。」と叩かれました。自公政権下でも毎年3%ずつ削られて来た公共事業費は、民主党政権では3割削減されました。世界中で、この15年間に公共事業費は2〜3倍に増やしています。日本だけ半分以下になりました。最近では「国際比較」なるものが政府関係からデーターとして出て来なくなりました。公共事業費を削りたい→公共事業費は無駄が多い→公共事業費悪玉、とプロパガンダが進んで、コンクリート(公共事業)から人へ、と一方的につながって来ました。ではどうすれば良いのか。いざという時、巨大地震等に備え、国民経済への被害を最小限にするには、インフラをハードソフト両面から強化し、バックアップシステムを整え、地方分散型国土にする努力が必要であります。世界中は、「日本という国は、この危機の恐れに備えて、何をしようとしているのか、わからない国だ。」とあきれられています。「公共事業悪玉論」もまた、極めて日本的なプロパガンダであることもお判り頂けるものと存じます。