私が高校2年生のときに新潟地震(昭和39年)が発生した。信濃川に架かる昭和橋が落橋し、石油タンクが爆発・炎上、信濃川は津波であふれた。我が家は壊れ、1カ月以上浸水して、高校で避難生活を送りながら、なぜあの程度の地震で新しい橋が壊れるのか、地震に耐える街づくりをしたいと思ったのが、その後、土木工学を専攻し、建設省(現・国土交通省)に勤め、国会で安心・安全な国土づくりを訴える私の活動の原点である。
昨年の3月の東日本大震災では、東北道、三陸道など16本の国道のうち被災翌日には11本の道路を啓開できた。しかし、地震が発生したのが4、5年後であれば、これほど早く啓開はできなかったと思う。
小泉内閣で公共事業予算が削減され、民主党政権になって一気に2割近くも減らされた。そのために地方経済が疲弊し、建設業者が減少したが、今度の災害では、頼れるのは建設業であることが改めて認識された。「くしの歯作戦」といわれる道路の啓開は、東北地方整備局が52班に分けて作業を進めたが、地元の建設業者がいなければできなかった。
最初に復旧・救援に当たった建設業者の姿がテレビで放映されることはなかった。取り上げられたのは、建設業のあとに被災現場に乗り込んできた消防、警察、自衛隊である。マスコミ関係者は、会社の作業着姿では宣伝になるので取り上げにくい、協会などの制服だと取り上げやすいといっている。今後、災害の救助作業などを行う場合は制服を身につける必要があるかもしれない。
大災害が発生して3、4年経過する頃、地元の建設業者が倒産することが多い。その要因の一つは、発注者が業者の経費を見ないことにある。例えば、がれきの処理では運転手の費用や機械の損料などの直接的な費用は計上するが、運転手が一人で仕事をしているわけではない。会社として作業を行うわけだから、会社の経費が必要になる。それがないために、2次災害ともいえる倒産に追い込まれる。
そこで私は、がれきの撤去作業でも一般土木工事の諸経費を採用するように求め、変えさせた。
首都直下・東海・東南海・南海などの大地震が10年以内に発生するといわれている。それに対応するために、10年で200兆円の強靭化投資を行う。それで太平洋側は耐震化を図る。地方に拠点をつくり、地方から救助・救援ができるネットワークを早く構築するための、国土強靭化法案を国会に提出した。首都直下地震特別措置法案、南海トラフ法案も検討中だ。